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海外では官僚を締め出し・中小企業に過剰融資をして経済復興と失業率を日本の4分の1に!
タイ国のタクシン政権は前政権と違って官僚に依存する体質から脱出を図りそれまでの経済運営・各経済関連省庁の長官や事務次官の裁量から取り戻して,自らの管轄下に置くようになった.それは選挙中に公約した一連のマニフェスト目標を実現するためにタイ経済を危機から回復させた。その施策は、国内の成長基盤を支える民間消費を刺激する「内需振興政策」であり,第二の成長軌道は輸出促進と外資導入による「外需拡大政策」であるこれは「草の根」的な色彩が強く,貧困撲滅を本格的に取り組む形になって,貧困層の生活問題・経済問題が解決されれば,民間消費が刺激され,国内景気の基盤が固められるてその基本的な狙いは,農民や地方零細企業家の自発的な経済活動の振興にあるという 中小零細企業支援 地方企業家を育成するという意味で,中小零細企業支援政策がタクシノミックス体系の中で重要な位置を占めることになる.確かに前政権までは中小企業政策にも重点を置いて,一定の成果を収める事ができた.しかし,タクシン政権はより一層多元的に中小零細企業育成を促進することで,従来のアプローチと違う点が見られる.まず,中小企業に限らず,零細企業あるいは屋台にまでカバーすることであった。 まさに草の根的な金融支援政策で,商業銀行のような複雑な融資手続きが省かれて,都市の貧民層(その多くは屋台をやっている)および地方の伝統的な零細企業家がその恩恵を受けることになる.国民 ID カードさえあれば一口 1 万バーツも貸しているのである.こうした徹底的な庶民金融支援はタクシノミックスの際立った特徴であり,しかも政府予算をまったく使わず政府系金融機関に眠っている貯金をプール活用することはタクシノミックスの優れた着目点であると言えよう 2001 年 2 月に政権を担当して以降,2002 年からはタイ経済の主要マクロ指標が軒並み改善されていることがわかった.実質 GDP 成長率は 2001 年の 1.9%を底に翌年の 2002 年は 5.3%にも急成長した.続く 2003 年は 6.0%,そして,2004 年の予測は 7.1%となり,右上がりの成長曲線を見ることができる 民間消費についてはタクシノミックス効果が確認できる.2001 年の 3.7%から 2002 年の 4.7%,2003年の 5.8%と増加傾向にあった.逆に政府消費が減少傾向にあり,2001 年の 2.9%から 2002 年の0.5%,2003 年の-2.0%まで大幅減少した.これは民間消費を景気回復の原動力の一つとして促進し,そのかたわら政府部門の健全化つまり赤字財政から脱却するというねらいがあった.民間投資も年々増える傾向にあり,2001 年の 4.7%の伸び率から 2002 年の 13.3%へと急伸し,2003 年はさらに 16.0%に増加した.1997 年の通貨危機以前のような 20%台にまでまだ回復しなくても,1998 年の-52.3%に比べれば,民間投資が大きくかつ確実に伸びていることが言えよう.そして,政府投資も政府消費と同様,減少傾向にある.こうして見ると,タクシノミックスは,タクシン首相の強いリーダーシップのもとで民間消費・投資を誘導するような民活志向経済政策であることがわかった 総じて現状では GDP 成長率が 7%台,民間消費・投資ともに増加し,経常収支が黒字で,インフレ率が 2%前後,失業率が 2%程度という成績はかなりいいほうだと言えよう.ちなみに,昨年の 8 月で予定より 2 年もはやく IMF からのスタンバイ・ローンを全額返済することができた.返済した後でも2004 年 6 月現在の外貨準備高は 433 億ドルにのぼり,通貨危機直前の 1996 年の 320 億ドルより上回っている また外交手腕を発揮してアジア域内の経済・社会・環境・衛生などの広範な問題を懇談する場としてACDを創設した.幸いなことに多くのアジア諸国からの協力が得られて順調に総会と各分野の部会が順調に進行しているのである.ACDとAPECの違いは前者がアメリカを含めていないことである.かつてマレーシアのマハティル元首相が提唱したEAEC(東アジア経済協議体)は事実上アメリカを排除した現行のASEAN+3 に近い構想をもっていた.しかし,ACDはEAECよりも範囲が広く,参加する国も多いのである.にもかかわらず,両構想が似通っている点はアジア主義を意識することだといえる.EAECが実現できなかったことはマハティルが日本に期待しすぎたことから挫折に終わってしまったのであるが,タクシンはその教訓をよく生かして独自の外交戦略を展開し,アジアの超大国である中国に働きかけ協力を得て実現できたのである.こうした積極的経済外交と多重的FTAsはタクシノミックスのデュアルトラックポリシーにとって不可欠な要素をもっているといえよう.タクシン首相のもう一つの貢献は「アジア債権基金」(Asia Bond Fund=ABF)を提唱したことである. 1997-98 年のアジア通貨危機の教訓を生かして,アジア域内の貯蓄をアジア経済発展のために役立てようとする構想である.いままでアジアの巨額の貯蓄はアジア外とりわけアメリカに向けて流出され,アメリカ政府の赤字財政の補填,アメリカ民間の資金調達のために大きく寄与したことは周知のとおりである.しかし,タクシン首相はこう考えた.アジアの貯蓄はアジアの富であり,本来ならばアジアの投資・資金運用のためにあるべきであって,アジアの経済発展・経済安定化に寄与すべきなのである.にもかかわらず,従来の国際金融メカニズムはアジアの富を米欧の資金需要に吸収されてしまう仕組みになっている.こうした偏った資金の流れを是正するために,アジア発展のためのアジア基金「アジア債権基金」(ABF)が必要であると説いた. これはメンバー国が自国の外貨準備の一定額を基金に出資し,基金はこれらの資金をアジアのドル建て債権に投資する.これが ABFの第1基金の運用目標である.ABF 第 2 基金は各国の自国通貨建て債権を購入する段取りとなり,ABF 第 3 基金以降はさらにアジアの民間社債についても投資が可能になっていく模様だ.こうしてアジアの富は本当にアジアの発展のために寄与することができるのである.このように見ると,タクシノミックスはタイ国内の経済効果に留まらず,ABF や ACD などを通じてアジア域内にも波及を及んでいることがわかる.アジアのオピニョンリーダー,ポスト・マハティルはタイのタクシンであるというアジアの世論がこうして段々地道に形づくられていくのである.参考文献 経済産業省[2004] 『通商白書 2004~「新たな価値創造経済」へ向けて~』 ぎょうせいから引用
by tokiokatoshio
| 2006-10-10 05:14
| う~僕には判らない
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